大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)23号 判決 1984年7月26日

原告 河合秀香

<ほか一名>

右原告両名訴訟代理人弁護士 宮崎誠

同 塚本宏明

同 国谷史朗

被告 安田火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役 三好武夫

右訴訟代理人弁護士 阪口春男

同 野田雅

同 今川忠

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告は、原告両名に対しそれぞれ、金七〇〇万円及びこれに対する昭和五八年一月一二日から支払済まで年六分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外河合正二(以下「訴外正二」という。)は昭和五五年五月一日保険業務を営む被告安田火災海上保険株式会社(以下、「被告会社」という。)との間に左記保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。

自家用自動車保険

(一) 被保険自動車 普通乗用自動車(泉五五ろ六二八四以下「本件車両」という。)

(二) 保険金(死亡の場合) 一四〇〇万円

(三) 保険期間 昭和五五年五月三日から昭和五六年五月三日まで

(四) 被保険者 本件車両の保有者、運転者等

(五) 被保険者死亡の場合の保険金受取人

被保険者の相続人

2  訴外正二は、本件車両を運転中別紙交通事故目録記載の交通事故(以下「本件事故」という。)を起こし、胸部打撲・顔面挫傷・心筋梗塞の傷害を負い、昭和五六年三月七日死亡した。

3  訴外正二の死亡と本件事故との因果関係

(一) 医学的見地からの因果関係については、結論的には、不詳(どちらともいえない。)と言わざるを得ないが、法律的因果関係については、本件事故が自損事故の起こり易い極めて危険な道路での事故であること、事故のショックはかなりのものであったこと、訴外正二の糖尿病による動脈硬化はショックを原因としない血栓による心筋梗塞が自然に発生する程度には至っていなかったこと等は明らかであり、これらの事情を総合考慮すれば、訴外正二の死亡と本件事故との法律的因果関係はあるものというべきである。

加えて、保険契約は、被保険者の生活を困窮から救う社会的使命を帯ているものであり、特に本件ケースのように若くして夫を失い、子供を抱えて懸命に生活している原告らの生活状況を考えるとき、保険約款の解釈・適用にあたっての「疑わしきは契約者・被保険者側の利益に」という大原則を思い起こす必要があろう。訴外正二の死亡と本件事故との因果関係の立証責任は、一応原告側にはあると言うものの右大原則を想起すれば、原告側の立証責任は、充分に果たしているものというべきである。なお、死亡保険金の支払義務を負うための要件は被告が主張するとおりである。

(二) 仮に、右(一)の主張が認められないとしても、

(1) 前記保険契約における被害者救済の見地からすれば、仮に因果関係に対する心証度が一般的ケースの事実認定の心証程度より低い場合にあっても、その心証割合を請求額に反映させ、割合的に認定し、具体的衡平をはかるべきである。

(2) 仮に訴外正二の心筋梗塞が、本件事故前に生起したとしても、本件事故によるショックがかなりのものであったこと、血栓による梗塞が先行しても身体にショックが加われば攣縮との相乗効果により梗塞範囲が拡大し、その程度が強くなること、訴外正二の糖尿病は治療の成果が出ていたことにより仮に血栓による梗塞が発生したとしてもその梗塞の程度は軽く、それだけでは重篤な症状に至るものではなかったと言えること等を考えると、既往症の死亡に対する寄与率は低く、その寄与度を控除した額については、請求認容されるべきである。

4  原告秀香は訴外正二の妻、同圭介はその子であり、原告両名以外に訴外正二の相続人はいない。

5  よって、原告両名は、被告会社に対し、本件保険契約に基づいて、それぞれ保険金七〇〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和五八年一月一二日から支払いずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項の事実は認める。

2  同第2項の事実のうち、訴外正二が本件事故を起こし、昭和五六年三月七日死亡したことは認め、本件事故によって死亡したこと及び被った傷害は否認する。訴外正二の死因は心筋梗塞である。

3  同第3項の主張はすべて争う。

(一) 被告会社が保険約款第二章自損事故条項に基づき、死亡保険金の支払義務を負うための要件は、(1) 被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により被保険者が身体に傷害を被り、その直接の結果として死亡したこと、(2) 被保険者に生じた損害について自賠法三条に基づく損害賠償請求権が発生しないこと、である。

よって、原告らが本件事故において(1)、(2)の要件を充足していることを立証したときにはじめて、被告会社は原告らに対し死亡保険金の支払義務を負うべきところ、原告らは、右(1)の因果関係の存在を証明しえていないのみか、却って本件審理の結果をみれば、因果関係がないと判断すべきものである。

(二) 訴外正二は心筋梗塞によって死亡したものであるが、その心筋梗塞は従前から患っていた重度の糖尿病を原因として本件事故前に発生したものであり、本件事故によって生じたものでない。

本件事故によって生じた傷害は門歯一本の損傷、歯損傷部よりの口腔内出血、左上腕擦過傷のみであり、この傷害と訴外正二の死亡との間には何等因果関係がない。

したがって、被告会社は死亡保険金の支払義務はない。

4  請求原因第4項の事実は認める。

5  同第5項の主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因第1項及び、同第2項の事実のうち、訴外正二が本件事故を起こし、昭和五六年三月七日死亡した事実は、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、訴外正二の死亡と本件事故との間の相当因果関係の有無について判断する。

1  《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一)  訴外正二は、昭和二二年一〇月二六日生の男子であり、本件事故当時満三三才であったが、以前から糖尿病の兆候があり、昭和五四年一二月一一日橋間診療所において、急性腺窩性扁桃炎、糖尿病と診断され、同日から昭和五六年二月二八日までの間、主として糖尿病の治療のため、同診療所に通院していた。通院実日数は三九日であるが、その間の昭和五五年二月一五日に糖尿病性神経炎、同年二月一九日、神経痛、同年六月一四日、関節痛、同年一二月一七日、背部痛、急性上気道炎、同月一八日、心悸亢進、両下腿に神経痛、昭和五六年二月六日、腓腹筋部痛、同月一三日、腹痛等の症状があった。

(二)  訴外正二の血糖値は、昭和五五年二月一八日、四〇二mg/dl(以下、単位は省略する。)、同年一二月二日、四二〇、昭和五六年二月九日、二五三であり、糖尿病の程度としては、中等度ないし高等度に属するものである。

なお、訴外正二の本件事故当日である昭和五六年三月三日の血糖値は四八八であり、同月六日の血糖値は、午前六時が四八二、午後八時が七八八、午後一〇時が六二二である。

(三)  訴外正二は、前記のとおり糖尿病性神経炎にも罹っていたが、これは、糖尿病が発生し、一〇年ないしそれ以上の未治療の糖尿状態があった時に起こるものであり、糖尿病が進行すれば、動脈硬化が促進されて心筋梗塞が発症しやすい状態となる。

心筋梗塞は、心筋の酸素需要と供給との均衡の破綻によって心筋の壊死を来たした状態をいうが、心筋梗塞の解剖例からみると、心筋梗塞の約四六パーセントから約九〇パーセントが、冠状動脈の血栓による閉塞によって生ずるものであり、時には冠状動脈攣縮などによって生ずることもあるが、これは五〇パーセントないし一〇パーセントである。

(四)  訴外正二には、糖尿病と間歇性披行の既往症があり、前記橋間診療所の医師からは、主に食事療法を指示されていたが、野菜を多くし、御飯を少なくする程度でカロリーを計算しての食事療法はしていなかった。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

2  《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(一)  本件事故現場は、アスファルトで舗装された幅員約四~五メートルの南北に通じる平坦な直線の道路(以下「本件道路」という。)の西側の端に設置されているコンクリート製の電柱付近である。

本件道路は、本件事故当時、駐車禁止に指定されており、当時本件道路に駐車している車両はなく、本件道路の北から南への見通しは良好であり、当時、交通量は少なかった。なお、本件事故当時は、くもりであり、本件道路の路面は乾燥していた。

(二)  訴外正二は、本件事故当日、午前七時頃会社に出勤したが、その後気分が悪くなって退社し、病院へ行くため、本件車両を運転し、同日午前一一時五五分頃、本件道路を北から南に向ってかなりの速度(正確な速度は確定できないが、本件車両の損傷状況から推測すると、速度はかなり出ていたものと推認される。)で進行中、本件道路の西側の端(進行方向右側の道路端)に設置されているコンクリート製の電柱に正面衝突し、門歯一本の損傷、歯損傷部よりの口腔内出血、左上腕擦過傷の傷害を受けた。なお、訴外正二は、本件事故当日、酒は飲んでいなかった。

(三)  本件事故発生の約七~八分後に連絡を受けて事故現場に到着した岸和田消防署の警備課一部救急隊々長小林純次らは、本件車両内に倒れていた訴外正二を救出したところ、同人は意識はなく、瞳孔も開き、心臓も停止している状態であったので、心臓マッサージをしながら、救急車に乗せて医療法人徳洲会病院に搬送し、同病院において、治療をしたが、昏睡状態が続き、昭和五六年三月七日午前一〇時三〇分に死亡した(訴外正二が、同月七日に死亡した事実は、当事者間に争いがない。)。死因は心筋梗塞である。

(四)  本件事故発生の約三〇分後に連絡を受けて本件事故現場に到着した当時岸和田警察署勤務の巡査部長池田覚外二名は、事故現場を綿密に実況見分をしたが、本件道路の路面には、急ブレーキをかけたことによる本件車両のスリップ痕は残っていなかった。同人らが、聞き込み捜査をしたところ、本件事故についての目撃者はおらず、本件事故現場付近に住んでいる者が、衝突音を聞き、クラックションが鳴りっぱなしになっていたので家から出てみると、訴外正二は、本件車両内に倒れていたとのことであった。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

3  以上の認定事実を総合すると、訴外正二は、以前から糖尿病の兆候があり、昭和五四年一二月一一日に糖尿病と診断されたこと、訴外正二は、昭和五五年二月一五日に、糖尿病性神経炎に罹っており、その頃の同人の糖尿病の程度は中等度ないし高等度に属するものであったこと、訴外正二は、昭和五五年一二月一八日、心悸亢進のため治療を行っていること、訴外正二の死因は心筋梗塞であるが、臨床例から見ると、心筋梗塞は冠状動脈の血栓による閉塞によって発症するものが多いこと、訴外正二には、前記の糖尿病、間歇性披行の既往疾患があって、心筋梗塞を発症しやすい体質的素因があったこと、しかし、同人は糖尿病の治療としての食事療法を必ずしも十分にしていたものとは推認されないこと、(一) 訴外正二は、本件事故当時、酒気を帯びた状態で本件車両を運転していたものでもなく、本件事故は、同人が出社後、気分が悪いために退社して病院へ行く途中の事故であり、本件道路は直線で、かつ、見通しも良好であるのに、進行方向の右側の道路端に設置されているコンクリート製の電柱に正面衝突していること、(二) 本件道路の路面には、本件車両のスリップ痕は残っていなかったことが、認められ、右(一)の事実から本件事故は、通常の単なる前方不注視、脇見、過労又は居眠り運転によるものであるとは推認し難いこと、右(二)の事実から、訴外正二は、本件事故の前に意識を失っていたであろうことが推認され得ること等の諸事情を考慮すると、訴外正二は、本件車両を運転し、本件道路を南進中に突然心筋梗塞の発作を起こし、意識を失った状態で本件道路西側(進行方向の右側)の端に設置されているコンクリート製の電柱に正面衝突したものであると推認するのが相当であり、本件事故による訴外正二の傷害の程度が門歯一本の損傷、歯損傷部よりの口腔内出血、左上腕擦過傷であることを考慮すると、本件事故の発生と訴外正二の死亡との間には相当因果関係はないものというべきである。

原告らは、請求原因第3項の(二)において、因果関係に対する心証度による割合的認定あるいは、既往症の死亡に対する寄与率による割合的認定をして、具体的衡平をはかるべきである旨、予備的に主張するけれども、被告会社が、保険約款第二章自損事故条項に基づき、死亡保険金の支払義務を負うための要件は、(一) 被保険自動車の運行に起因する急激かつ偶然な外来の事故により被保険者が身体に傷害を被り、その直接の結果として死亡したこと、(二) 被保険者に生じた損害について自賠法三条に基づく損害賠償請求権が発生しないことである(右(一)、(二)の事実は当事者間に争いがない。)ところ、前示のとおり、訴外正二の死因は、心筋梗塞であり、同人は、本件事故当日、本件車両を運転し、本件道路を南進中に、突然心筋梗塞の発作を起こし、意識を失った状態で進行方向右側の端に設置されているコンクリート製の電柱に正面衝突したものであると推認され、前記徳洲会病院に搬送して治療をしても意識を回復することなく、昏睡状態が続き、本件事故から四日目の昭和五六年三月七日午前一〇時三〇分に死亡したものであって、本件事故による前記受傷の事実が、心筋梗塞による死亡の結果を招来したとの関係について、これを何らかの割合で肯定するに足りる的確な証拠はない。

したがって、訴外正二の死亡と本件事故との間に何らかの因果関係があることを前提とする原告らの前記主張はいずれも理由がなく、採用できない。

三  よって、原告らの被告に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九三条一項本文をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 喜如嘉貢)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例